市場原理が人の道徳心を損なう場合と、利己的な人が多い経済学徒

経済学を貫く「利己主義的」なるものについて。経済ルールにより失われる道徳心

 

市場ルールの導入で道徳心が妨げられる例

 例えば市場的なルールや経済的なルールの導入により、人びとの規範意識や道徳心が低下するケースが知られている

 代表的な例は、ここ(下記リンク;自分が書いた別サイト)で紹介した、U・ニーズィーとA・リストによるイスラエルでの託児所における実験だ。

 


・ここ

socius101.com

 

くわしくはリンク先で見ていただくとして、実験では遅刻を減らすため罰金を取ったところ、かえって遅刻が倍以上に増えた。

 

このような例は特殊ではない。

同様のケースとして、労働意欲の低下を防ぐため罰金を導入したら労働意欲が低下してしまった例や、献血に参加する人を増やすため少額のお礼を支払うようにしたところ、かえって献血量が減ってしまったなどの事例がある。

 

通常私たちの行動は、当然ながら複数の規範なりルールによって支えられている。経済的ルールなり道徳的ルールなり、利己的なルールなり利他的なルールなり。どれか一つだけに成り立つほど人間は単純ではない。これは当たり前だろう。

 

すなわち上の例でいえば「幼稚園でのお迎えを時間通り行う」といった、経済上のメリットが弱く道徳的な規範によって支えられていた人びとの行動を、経済性によって解決しようとしたために、人々の道徳心が弱まり結果として不幸な結果となってしまった。

 

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経済学と「利己主義」なるもの

そもそも経済的ルールの根本となる経済学は、利己的なアイデアがその本質を貫くものとなっている。経済学の始祖の一人であるアダム・スミスの用いた表現、「神の見えざる手(invisible hand)」なるタームはよく知られるとおりだ。

これは個々人が、自らの利己心に基づいて行った利益追求が、自由な市場を介し社会全体の利益につながるというものである。

 

 

 

  • ニンゲンが自分のことだけを考えてふるまった行動が、他のヒトのみならず、いつしか社会全体の役に立つものとなっているー 

 

面白いのは、「個人の利己的利益追求を発端として行われた市場取引が、人びとの間での信頼関係を形成し、しまいには道徳の形成にまでつながった」という指摘だ。

 


著述家のマット・リドレーは次のように述べる。

奴隷売買を廃止し、カトリック教徒を開放し、貧しい人々に食べ物を与えることを最初に考えたのは「商業国民」だった。

1800年以前も以後も、奴隷制反対運動を資金援助したり率いたりしたのが、ウェッジウッドやウィルバーフォースといった人だったのと同じように、今日、人やペットや環境への思いやりにあふれる運動に資金を出すのは、起業家や俳優などの新しいお金持ちだ。商業と徳は直結している。


イーモン・バトラーは次のように言う。「利己主義を完全に有徳のものに変える」。

これこそ、市場の並外れた特徴だ。市場は、個別には不合理な多くの個人を集団として合理的な結果へと導き、個別には利己的な動機から集団として親切な結果へと導く。

出典:『繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史』

 

これは「誠実・勤勉・友愛」を『市場の倫理』の特徴とした思想家、ジェイン・ジェイコブズの主張と重なるものであり興味深い。

ジェイコブズにおいては、「規律・伝統・排他的」である『統治(政治)の倫理』と、この『市場の倫理』が対照的に描かれている。

 

 

 

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利己主義を内面化し、血肉化する経済学徒

さてここにおいて重要なのは、「もはや個人の内発心は関係なく、利他心や思いやりを生み出す仕組みが制度的に構築されている」という点だ。

すなわち、人びとの内心と関係なく利他主義がシステム的に構築されているとしたら、わざわざ内面においてまで、自発的に利他主義である必要はない。どんなに”いやな人間”でも、結果として、”いい人”になることができるだから。

 

この仕組みを知っているから、経済学を学ぶ人は、経済学を学ばない人よりも、利己的な行動をとりやすくなる。

 


そしてこれはただの妄言ではなく、実証されている。

例えば米国ウィスコンシン大学のジェラルド・マーウェルとルース・エイムスが行った実験では、経済学を学んだ人たちは、それ以外の学問を学んだ人たちよりも、自らを犠牲として他者に貢献することがなく、結果から得られるメリットに「ただ乗り」するフリーライダーであることが多かった。

同様の実験結果は多々示されている。 

 

リベラル派経済学者のスティグリッツは、経済学モデルとそれが生み出す人間性について、次のように述べている。

 

・ジョゼフ・E・スティグリッツ(写真はWikipediaより)

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わたしたちのほとんどは、自分が、有力な経済モデルの根底をなす人間観、つまり打算的で、合理的で、自己利益を追求する、利己的な個人という人間観に従って行動すると考えることを好まない。

この人間観には、人に対する共感や公共心、利他主義などの入り込む余地がない。

経済学で興味深いのは、経済学のモデルの描写がほかならぬエコノミスト自身にうまくあてはまるという点であり、学生が経済学を学ぶ期間が長ければ長いほど、ますますモデルに似てくるのだ。

出典『フリーフォール グローバル経済はどこまで落ちるのか』

 

 

 

 

参考文献

Titmuss, R. (1971) “The gift of blood“ Society, 8(3), 18–26.

Fehr, E. and Gachter, S. (2000) “Cooperation and punishment in public goods experiments,”
American Economic Review, 90(4), 980-994.

Marwell, Geraldand Ruth E. Ames. 1981. “Economists Free Ride, Does Anyone Else?” Journal of Public Economics 15: 295‒310.

マット・リドレー(2010)『繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史』早川書房

ジョセフ・E・スティグリッツ(2010)『フリーフォール グローバル経済はどこまで落ちるのか』徳間書店